麻呂鳥®の作者 道湖(Michiko)
現在14才。10歳の頃に、平時安代に咲き誇った雅で洗練された文化にインスピレーションを受け、それまで描き続けていた鳥に想像上の世界観を吹き込み、風流を理解できる高貴な鳥「麻呂鳥®」を生み出しました。墨や岩絵の具などの伝統画材とデジタル効果を融合させ、新たな表現を追求しています。
5歳の頃に幼稚園で突然、場面緘黙症が生じ、様々な生きづらさを抱えてきました。神経多様性という概念に出会い、アートの表現を通して自分らしさを模索しています。
場面緘黙症とは(ばめんかんもくしょう)
場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)は、極度の緊張感と不安により、特定の状況や場所で話すことができない状態が続く不安障害の一種です。家族や親しい人とは普通に話せるのに、学校や公共の場などでは全く言葉を発せられないことがあります。
症状が重度になると、家族とさえも話せなくなる全緘黙になったり、全く体が動かなくなることもあり、介護が必要なレベルになることもあります。軽度の場合であっても、学校や友人関係で、「無口、恥ずかしがり屋」「態度が悪い」「反抗的」「怠けている」と誤解が生じることもあります。
子供によっては、学校で言葉を発せられないだけでなく、食事やトイレ、文字を書くなどの基本的な行動にも影響を及ぼすことがあります。これにより、心身の負担が非常に増大し、さらに自己表現ができないことで周囲に症状を伝えられず、問題が複雑化することがあります。
家庭では自由に動けているのに、学校ではまったく違う自分を強いられ、子どもの心身に強いストレスがかかります。思春期になると、社会的孤立や二次的な精神的障害を引き起こすリスクも高まります。
場面緘黙症に対する正しい理解と支援が大切です。
神経多様性(ニューロダイバーシティ)を包括し、自分らしく力を発揮していく(本人の言葉)
私は、「障害」ではなく自分は「ニューロダイバージェント」(神経発達の多様性を持つ人)だと思っています。私は場面緘黙症と診断されましたが、それは自分の多様な神経のなかのひとつに過ぎません。私は、なぜ人は差別をするのか、なぜ人は残忍で暴力的な歴史を繰り返してきたのか、言語とは何なのか、人類はどこへ向かっているのか、時には地球誕生まで遡り、時にはSF的な未来まで探求しながら、色々なことを考えています。言語や文化に興味があり、人工言語や、民主主義や資本主義から閉ざされた国のことも探求しています。そもそも国家や国境とは何なんだろうと考えています。
頭の中でこんなことが飛び交っている状態ですが、学校で文字を書こうとすると離人感が生じ、何も書けなくなりました。努力や気合ではどうすることもできなかったですし、つらかったです。私のような神経を持つ人は、少ないかもですがいると思います。また、そこには個性があるので、どの人も全く同じということはないはずです。私は、自分の存在はレインボー(多様性の象徴の虹)だと思っています。私にはフィリピン、中国、スペインの血も混ざっています。
これからは、神経の多様性を包括する時代だと思います。メタバースやAIなどの最新技術で、きっとこれまではできなかったことを補充し、能力を拡張していけると信じています。
支援と才能開花の狭間で-母の想い-
道湖の母です。
娘は赤ちゃんの頃から敏感で、1歳を過ぎると急速に言葉を習得しました。1歳4か月でひらがな、カタカナ、アルファベットを読めるようになり、アルファベットの大文字と小文字も識別できました。本にも強い関心を示し、2歳になる頃には、映像や本で親子の別れや動物がいじめられる場面を見ると激しく泣き、どうして?と訴えることもありました。感受性が豊かで、感情が激しく動くことがよくありました。
しかし、成長とともに気づいたのは、他の子どもたちが自然にするようなこと、例えばハイハイや集団での遊び、泥遊びなどをあまりしないことでした。幼稚園に入ると、少人数クラスでは先生ともよく話していましたが、年中クラスになり人数が増えると、話せなくなったり、動けなくなることが出てきました。自宅や仲の良い友達とは非常に多弁だったので、場面緘黙症に気づくまでには時間がかかりました。
ついには、全く話せなくなる全緘黙に至り、家族との会話も途絶え、衣類の着脱や食事にも介助が必要な状態になりました。療育施設に通いながら、大好きだった絵も描けなくなり、黒一色の殴り描きだけが続く時期がありました。非常に辛い日々でしたが、この時期は家族にとって学びの時期でもありました。8カ月の集中ケアで、全緘黙は解消されましたが、様々な症状は継続しました。
小学校では特別支援学級に所属しながら、通常学級や特別支援学級の子達と6年間を過ごしました。しかし、どんなに支援しても、学校で筆記試験になると手が動かず、学力評価に繋がることはありませんでした。自宅では中国語の勉強や、好きなことへの探求に熱心で、私たちは学力にはこだわらず、彼女にカスタマイズした方法で知識を深めることを重視しました。
特に平安貴族の雅な文化や美的感覚に強くインスピレーションを受け、10歳の時に「麻呂鳥」という独自のキャラクターを生み出しました。現在14歳ですが、麻呂鳥を4年間描き続けています。そこには自然との調和や優しさ、自分を大切にする心など、多くのメッセージが込められています。
中学生活でも色々な困難が生じ、本当の自分とのギャップに限界を感じ、最終的には自ら学校に行かない選択をしました。現在はホームスクーリングをしていますが、全てを自分たちでやることはとても大変です。振り返れば、教育的な支援制度の元に、学校生活で心身ともに無駄に疲弊してしまったことも多く、早期にもっと適切な学習方法を選択できていればどんなに良かったかと思うこともあります。毎日必死に手探りで模索しなければならなかった、より質の髙い支援を得るには経済的にも限界があった、他にも色々なことを抱えて余裕がなかったという現実の壁もあったと思います。
場面緘黙症は目に見えない生きづらさがあり、周囲の理解が欠かせません。子どもの優れた感覚や洞察力を生かし、早期から適切な学習方法を確立できることが大切だと、今強く感じています。
麻呂鳥®ぬりえで社会とつながり、世界を広げる。
早くから最新技術を活用したこともあり、これまで麻呂鳥®の作品はニューヨーク、ドイツ、ポルトガル、インド、東京、京都、沖縄、メタバース空間などで展示されました。
さらに、ぬりえ素材として幼児から高齢者まで幅広い世代に楽しんでいただいています。情操教育、美術教育、療育、認知症予防、イベントのワークショップなど、様々なシーンで麻呂鳥®ぬりえがお役に立てれば幸いです。
メタバース技術で未来を創り、社会に新たな価値を届ける
麻呂鳥のギャラリーも展開
色彩感覚を生かした次世代アーティスト道湖によるデザインシリーズ
医療とデジタルが難聴克服の可能性を拡げる!
難聴サイエンスコミュニケーター